すてるたび

旅するモラトリアマー

このたび たびする



いろんな人に聞かれるので、
旅する理由を、8月に日本を出て2ヶ月も経った今考えてみた。


いや、ずっとずっと考えてきているのだ。が、定まらなかった。
理由は簡単なのに言葉に出てこない。


たぶん、OLが嫌になって、
同僚にも本当に恵まれたし別段キツい職場ではなかったけれど、それでも身体にどんどん支障をきたすようになって、
なんとなく、なにかこのままでは辛いことがあった時に耐えられないな と思ったから、
手段として世界一周を選択したのである。
まあよくあるハナシではあるのだ。


それでも 毎日だらだらしては食っちゃ寝の生活を続けていて、
あーできるだけ楽してSNS映えする写真でもテキトーに上げて、このままなんとなく旅を終えて日本に帰って就活でもするかあやだなあと トルコに本当に気まぐれで行ったところで、
イスタンブールのドミトリーにてみょーちくりんの22歳 日本人青年に出会ったのであった。

彼、オーストラリアのヒッピー村で雨水で生活したり、私が挫折したカミーノ巡礼の正規のルート(フランス ルピュイから1600km!)を完歩したり、フォトグラファーとしてシリア難民を追いかけたり、とにかくクレイジーな旅をしてきたそうな。

その後カッパドキアで待ち合わせて一緒に廻っていたのだが、それがこんなに自分の人生観を大きく変えることになるとは思わなかった。


多分、ケバブを食べながらお互いの身の上についてなど話していた時だと思う。今後どうしようか考えあぐねている私に、自分は人生で進むべき道が解っているので不安もないし挫折したこともない と彼は言う。

オロ???案外最近流行りの自己啓発意識高い(笑)ボーイか?


"まあ、俺他の人とは多分違う感覚があるというか、物心つく前からスピってるの自覚してるしね"


ハアーーーーーー???????
俄然興味。


聞いてみると彼の実体験もなかなか興味深く鳥肌もので、スピッた話もかなり面白いのだが要所をまとめると

自分が やりたいと思う方向へ日常の中にサインがあって、 それに従って環境を変えていき、
世の中の大きな流れに沿って自分が望むように事がトントン進むのがちゃんとわかるから、とのこと。

例えば語学の勉強したいと思ったときに、引いたおみくじにたまたま "勉学 語学に勤しむべし "と書いてあったとして、それを真に受けてすぐ行動できるかどうか、詰まる所そういう事だそうだ。

試されてると感じることもあるし、
また  その流れが芳しくないと、身の丈に合っていないか、欲しい結果を望むのは今ではないと そこで執着せず一旦手放す決断をすることも出来る。

何処でも生きていけるようになりたい。
だから旅をする。
とにかく目的を定めて動いていればなにかしらのチャンスや見込みがある。

現状維持をしようとすると、全ての流れが滞りつまらない生き方になるから、
現状維持をしろ、という 直感というか お告げ がない限り世の中の流れに自分の目的を沿わせてただ進んでいくだけだ と。

覚悟を決め 肚を括り、偶然を必然と捉え日常のささいなサインを見逃さずに、タイミングを見計らって掴んで。
自分の人生がつまらなくなったらいつでも殺してくれと、そう思っている。

オーストラリアを横断したとき何人も落雷で亡くなっている地域を自転車で抜けていると、左右真隣でバンバン落雷しているにも関わらず自分の行く道だけ真っ直ぐ綺麗なミルキーウェイがかかっていて、だから覚悟があれば絶対に救われるんだ、

動いて、流れて、執着せず、手放し、深くみつめ、呼吸し、受けいれ、自分の価値観で判断し、
「人生なんて、自分の信じる道を覚悟をもってただ進めばいいんですよ」



オイオイ、こんなことこんなにサラッと言える人、初めて会ったよ。



ごく淡々と迷いなく、多分当たり前のことを言っているのだろうけど、生きているうちに忘れていってしまう感覚を思い出させてくれた。
クリエイティブでありたいとホームレスフォトグラファーを名乗る彼は、ああきっと大物になるんだろうな と思わせてくれる確かな実力と、重みのある言葉を持っていた。


旅で出会う日本人となかなか仲良くなれなくて、落ち込みふてくされていた私に染み入ったのは本当に本当に単純な言葉だったのだ。ずっと会いたかった人に会えたような。


こういう事、たぶん私の恩師たちは
いつでも毎日口にしていた気がする。
私はそれを言葉で理解していたつもりではあったが、眉唾〜と思う事もあったし、つまり人の話を結局殆ど聴いていなかったのだ。


理解したつもりでわからないままずっと放置していたピースが、
彼と出会って バチバチバチッ と音を立てて立体的に組み合わさった時、

ああ 申し訳ございません 、敵いません降参ですと
素直にならざるを得なかった。


あー、降参だよ。敵いませんよ。

未だにショックで脳幹がびりびりする。
いやね、人として惚れたよあんたにゃ。
初めて人を心の底から格好いいと思ったよ。


負けず嫌いな癖になんだかんだと理由をつけて勝負してこなかった自分を恥じた。


そういえば、私が本当にやりたかったのは、キラキラおーえるライフでもなく、幸せなお嫁さんと素敵なお母さんではなく、ていねいな暮らしでもなく、
美術である。

現代美術が好きなのだ。その幅の広さは計り知れないし、言ってみればなんでもアリの世界。いろんな事を理由に手を出してこなかった。


真剣に勉強しようと思う。
ずっと向き合いたいテーマがある。
つくって表現できる人になりたい。
英語だって出来た方が絶対に楽しい。
世の中の流れにも敏感になりたいし、
そういう人にも出会いたい。
そんな仲間が欲しい。
大好きな私の友達に仲間に、面白え生き方してんなアイツ わはは と私のいない居酒屋でいつまでも笑われていたい。

多分 一生君には到底敵わないから、
せめて、同じ表現者としてのステージに在りたい。



そのためなら、就職なんて一生できなくていい、結婚なんて出来なくてもいい、子供だけは欲しいかもだけど!



で、どこかで、誰かのスイッチを押せたらいい。その誰かが一歩踏み出す後押しが出来るような。
だから率先して失敗して転んでそれでも希望をもって 生きていきたいと思っているし、
それが私の旅をする理由である。

就活のとき、社会貢献とか人の役に立つとか、散々考えたけれど、人の役に立つってこんな単純な事なのかもしれない。
苦しんで苦しんで毎日デスクに向かいクライアントに頭を下げ見えない顧客様と数字に翻弄され消耗するよりも、自分の人生を我慢せずにメチャメチャに楽しんでひとりで失敗してすったもんだしてしまった方が、ただなんとなく経済活動をするよりずっと近道で 周りにいい影響を与えていけると思うのだ。社会ってのは、きっと案外身近で親しいものなのだ。


自分の限界に挑戦し続けなきゃなんも得られないよ
うごけ!修行!

 なんて、歳下の男に説教されんなんてさ!ウルセー悔しいわ!
いつかまたどこかで会いたいから、
そのときは堂々と自分の作ったもの掲げていたいから、もう、全てを投げ捨てて ただ前進 しよう。
あ〜〜〜本当にありがとうよ 青年!
カッパドキアの大冒険はあたまがトチ狂うくらいたのしかったよ!!!個展開いたら必ず一番でっかい花を贈るよ!!




人間の細胞は何日ですべて生まれ変わるんだっけ。この瞬間瞬間に物理的に我々は変わっていっているのに、関係性を変えない事に固執するとどうしても歪みが生まれるのに、何故こんなに執着してしまうのだろう。
仕事も、お金も、恋愛も友情も、名誉も、家族も、生も死も、変わり続ける世の中をただ柔軟に受け入れ執着をやめれば、本当に生きるのが楽になりそうだ。


だからみなさん、
私が保守的になったら、どーぞすっぱり見捨ててください。


それを決めた今、物凄く、
人生シアワセ サイコー 明日が楽しみ!!!!!